年末年始、煮詰まっている皆さんへ

煮詰まっている皆さんへ

調停が始まって、こん詰まっているんですか?
相手の書面にパーフェクトに反論するの? 調停って話し合いですよー。ありとあらゆる主張をして既に泥仕合になっていませんか。知らぬ間にガソリンを撒いていませんか。

それでも書きたいですか?
いつか子どもが読むことになるかもしれません。ならば将来、子どもが読むことを想定して、わかり易い言葉で、子どもや配偶者へのメッセージに書き換えてみん? 丸ゴシック文字で書いたって誰も文句言わないよ。自分で絵本を作って出してもいいんだし。徹底的な反論は「そういう人です」って弾劾証拠に使われちゃうぞ!

事情が複雑?
複雑なまんまにしているのは、たぶん自分のこだわりのせい。事情は案外単純。ってか、単純な話にしていかないと、複雑過ぎる事情の応酬になってまとまる話もまとまらない。
諸事情はともかく、難しい書面を出さない人ほど子どもと会えるようになっているってことない? 幸か不幸か、それが現実。まずは子どもと会えることを優先に。

ヒマですか?
やれることは沢山ありますよ! 家族の写真アルバムの整理、何日もかかりますよ! いつか子どもに見せるんです。親の愛を伝え受け継ぐために。
俺は10万枚の写真があるので、4年たってもまだ整理が終わっていません。子どもが戻ってきたら整理するヒマなんてなくなるから。
子供の服、小さくなっても時々洗ってアイロンがけ。丁寧にとっておくと、子どもは喜ぶもんだよ。保育園の制作物とか、一生の宝ものだからね。段ボール箱に詰め込んだままというのはもったいない。

クリぼっち?
クリスマスってキリストの誕生を祝う日です! エッチしたりケーキやケンタッキーを食べる日じゃありませんよ! (山下達郎と竹内まりや夫妻の功罪は大きいw)

年末年始ひとりで淋しい?
たまさんちに来ていいですよ。12月27日から1月4日まで、ひとり5000円で居ていいです。定員8名です。米と味噌かついでおいで!

金が無い?
年末年始いくらでも仕事があるよ。みんな休みたいんだから。

好きな人ができた?
いいじゃない♡ 重婚してはダメー!ってだけで、二人以上愛してはイクナイって法律はないよ。たまさん今なら5人くらいまでOKだよw

休みの日にすることがない?
手紙書きましょうよ。子どもに、配偶者に。出さなくても手紙は書ける。いざ出そうってなった時、すぐには書けないもの。じっくり言葉を選んで、素直に。酒瓶のアップより、いいね!いっぱい付くよ♡

子供に会えていない?
会えない同士で嘆き節をぶつけ合っても埒が明かない。会えている人からたくさんヒントをもらおう。配偶者のせいにしても子供には会えないんだから。日本はそういう残念な社会。割り切ろう。

そんな社会が嫌だ?
俺も嫌だが、嫌がっていても変わらない。誰かが変えてくれるわけでもない。社会への批判は子供と会えるようになってからでいい。自分の生活を一番に。
俺が私が世の中を変えてやるんだ!という人ほど、なぜか子どもに会えない。それは正しいかどうかというより教訓だ。社会にガツガツ噛み付いている人に配偶者は心を開かないってことは、よくよく考えれば分かる。
相手に協力を求め、相手弁にも協力を求め、社会に対抗するのではなく、味方を増やして(そうだ駒崎のごとくw)子供と会えるようになろう。

住所がわからない?
自分の家あてに手紙を書けば、子どもに転送されるようになってるんじゃないのかな? 手紙を受け取ったかどうかなんて確かめなくていいよ。ポストに投函したら、あとは天に任せて手を離すんだ。手を離すってのが大事だと思う。

未来が見えない?
新年は「こうなった」と願いごとを、壮大に現実に起きたごとく書いてみない?「こうなりますように」ではなく「子どもが戻ってきて、毎日ごはんを一緒に食べている。今日は動物園へ行ってシロクマを見てきた」とか具体的に。未来のシナリオを描くのってのは想像力がいる。それができると不思議と一個ずつ叶うんだ。嘘だと思うなら、まずは書いてみーよ。
ただ、案外それって簡単そうで難しいんだ。なかなか書けないってのは、なかなか実現しにくいってことにもなる。

「元旦にババァが急死した。新年早々、喪服を着て妻の実家へ行くことになったが、妻が取り乱して大騒ぎ。警察が呼ばれたが意外な形で子供との再会が叶った。ショックのあまりジジィも倒れ、急きょ妻が喪主となった。そして子どもたちの面倒は俺が見ることになったのだ。親戚たちは怪訝そうに妻を遠い目で見ており、ジジィの食事と洗濯で、妻は家政婦のごとくてんやわんやになり、葬儀終了後とうとう音を上げ、子供たちは俺に懐くあまり”お父さんの家に行きたい”と泣き出した・・・」とか。 楽しいだろw

叶ったら神様に「ありがとう」。
後になって「そうなると”思ってた”」、「ほら、”そうなった”」と言うのは実に見苦しい。必ずそうなる!そうする!と言う想いは、明確な言葉にすることから始まる。未来は自分で作る。作れる。誰にも見せるなよ〜 デス・ノートとおんなじだからな!

被虐されてる?
中傷されたとか、暴言はかれたとか、もうよろしいわ。そんなことわざわざ書いて毒吐きしても、良い気持ちになる人は一人も居ない。そうするくらいなら未来を創造してみてよ!
過去の恨み節あれこれを書面にして裁判所に出しても効果ないって、もう分かったっしょ。調停委員も裁判官も読みたくないんだから。
毒吐きされると、された人まで毒される。それって本当に中傷や暴言? 虚偽DVみたいになってない? たわいのないことで被虐感を溜め込んでない? そう思い込んだり、そう感じてしまうのは自分のせいだよ。スルーできないところに難がある。依存度の高さを示す良い物差しになるけどね。

被害者?加害者?
って思っているうちは、加害性のある被害者だし、被害感や被虐感のある加害者だと俺は思うし、そうだとしたら家族再統合は難しいってことになるよ。

配偶者は人格障害者?
だとしたら、戻って来たとしても大変だよ? でも、もし本当に人格障害を患っているとしても、7〜8年後に被害感や被虐感がおちついて、配偶者が戻ってきたという事例が今年何件もあったよ。Google先生と勉強すれば「安心させるのが先決」ってことが分かるよ。

妬まれている?
いいことだ(*´▽`*)進歩してれば妬まれる。妬んでいる人なんぞどんどん置いて行けばいい。

思い込んでない?
相手は「DVを受けた」だの、「子が虐待された」だのと言うものの、虚偽というより「そう思い込んでいる」こともある。しかし、さて自分の胸に手をおいてみると、かなりいろいろな思い込みをしていることにも気がつく。

クリスマスは家族や恋人で過ごすもの。
年末年始は家族そろって神社へ行くもの。
正月は雑煮を食いお年玉をあげる・もらう。
調停は書面でやらねばならない。
願いは叶わないから祈るだけ無駄。
自分は被害者。
自分は誹謗中傷されて攻撃されている。
配偶者以外、愛せない(愛してはいけない)。

どんだけ洗脳されてんの?って話だよ。
まずはそこから解放だ。
最後に
2018年は「嫁」という言い方やめません?

「嫁」なんつーのは1947年(昭和22年)の戸籍法改正以来、存在しないんだ。「婿」もいないし「入籍」ってことも今やありえない。

ついでにいうと「嫁、婿、舅、姑、義父、義母、義祖父、義祖母、義兄、義弟、義姉、義妹、実家、婚家、本家、分家、家長、家戸籍、嫁ぐ、嫁になる、嫁入り、嫁にやる、嫁にだす、嫁をもらう、婿入り、婿になる、婿にやる、婿にだす、婚家の籍に入る」というのも法律的に存在しない。

すでに存在しない亡霊との関係がおかしな事になっていませんか?

たまさん家族相談 年末年始 特別相談電話

2017年12月29日〜2018年1月2日

050−3561−3310(留守番電話)

  1. 留守番電話にお名前と、どんなお話か簡単にお聞かせください(24時間いつでもOK)
  2. 順番に、こちらから別の番号で折り返しお電話します

産後うつ、産後クライシス

産後うつ、産後クライシス、そんな言葉がこの数年間のうちに市民権を得るようになりました。そうした症状や状態は、昔からあったものなのでしょうけれど、学問的に研究が盛んになり、科学的に解明しようという流れが加速しています。時には「マタニティーブルー」という言葉が歴史の先駆けだったのかもしれません。

マタニティーブルー、産後うつ、それらに伴うクライシス(危機)、どれも根底はつながっていて、分けて論じる必要が無いように、たまさんは思います。基本的には、女性の体内でのホルモンバランスが変化し、涙もろくなったり不安になったりという内的要因。そして、女性の置かれた環境に基づく外的要因。

外的要因には、家のしきたり(我が家では代々、このような子育てをしてきた)によるストレスやプレッシャーが挙げられます。そして、女性自身の中にも母性幻想(母親なのだから、このようにあるべきだ)が肥大すると、「私は子育てなんかできるんだろうか」「私は母親としてやっていけるだろうか」と言う不安が増大します。

「心配事の9割は実際に起きない」のではありますが、情報化社会、つまりネットを通じてずるずると出てくる「ああすべき、こうすべき」「理想の母親」などの分析、一般論、理想論に多く接すれば接するほど「うまくできないのではないか」と言う心配事が増えることになりかねません。

最も害悪なのはテレビでしょう。テレビで放送されたことが「すべて正しい」と思いこんでいる人々にとって、(美談化された)ママの体験談とか、(ドラマチックに演出された)再現ビデオなどを見るにつけ、なんか自分がちっぽけでつまらない存在に思えてしまうのです。

自分には自分の生き方、考え方があって、「足りない」「知りたい」と思うことは身近な人々に救いを求めても良いのに、今やなんでもスマホで連絡する時代。生活リズムも皆ばらばらで、「今から電話しても良い?」なんてメールでたずねてしまう時代。人間関係の希薄化、形骸化もまた、産前産後のトラブル諸々にストレスを加速させているように、たまさんには見えます。

そんな状況や原因追求はさておき、たまさんちでは毎週土曜日、午前10時から「産後うつミーティング」を開いています。

参加できる方は、「産前産後で困りごとのある人」です。

産後のうつ状態で自分を見失いそうになっている本人、本人に振り回されている(?)配偶者、あるいはその両親(赤ちゃんから見た、祖父母となる人)、そうした方々をお世話する仕事に関わっている方(助産師、看護師、介護士の方など)が対象です。

ミーティングは、ミーティング・ハンドブックを元に進行します。

また、実名を明かす必要はありませんし、無理に話す必要もありません。話す順番が回って来た時に話したいことがあるか、話す準備ができたら手をあげてみてください。

話の途中に献金袋が回ってきますので、無理のない範囲で会場の維持にご協力ください。

お茶やコーヒー、お菓子を用意してお待ちしています。
お時間がありましたら、一緒にお昼ごはんを食べましょう。

日時 毎週土曜日 午前10時〜12時 ミーティング、その後ランチ会
場所 たまさんち(みさと記念館)シェアダイニング
お問い合わせはコメント欄、もしくはこちらから
遠隔地の方は、前泊することもできます。

【グループの来歴】
ミーティングは2014年から始まりました。当初はFacebook内のコミュニティで始まりましたが、やがてTwitterで仲間を探し求め合うようになりました。徐々に参加される方の範囲が広くなり、定期的に集まることが難しい人もいて一時期、Skypeによるグループミーティングをしていたこともありましたが、2017年から「顔を突き合わせて相手の話に傾聴する」という従来のスタイルに戻りました。

子どものこと好きですか?

我が子に会いたい。我が子に会えない。
この日本には、そんな深刻な事態があります。
日本は単独親権国家なので、離婚をすると親のどちらかが親権を奪われます。言い方一つですが、どちらかに「親権が与えられる」という解釈もできます。

いずれにしても、単独親権と言う考え方に根付いている国は日本以外にないと言ってもいいでしょう。それが子のためにならないことを世界中が認識しているにも関わらず、未だ鎖国政策の中にある島国ニッポンは、いつまでも明治時代の民法や家族法を引きずっているのです。

子どもに会えない苦しみを話しに来てくれたのに、話のほとんどが社会への批判と相手方弁護士への批判で終わってしまう方がたまにいます。

話の流れを変えて聞き出そうと思っても、「我が子」の話を全くと言って良い程してくれません。社会への恨み、配偶者への恨み、裁判所への恨みでいっぱいになっているのです。

「我が子のことをかわいい、一緒にいたいと思うことはないの?」
「・・・」
「どう?」
「そんなの分からない。会えていないんだから。会えないのは、相手弁が悪いんです。日本という国はおかしいですよ!」

「そうねぇ。おかしいよねー。おかしいと思うけれど、子どもに会いたい!って気持ちが伝わってこないんだけど・・・」
「会いたいですよ。でも、この社会をなんとかしないと!」

ごもっともなことなのですが、社会を批判しても子どもに会えないという現実があります。本当に子どものことが好きですか? もし好きでないという気持ちがあるとしたら、それに向き合ってみると、別のものが見えてくるのかもしれません。

メンツであったり、怨みであったり、悔しさであったり、憎しみであったり。それらを感じることは、別に悪いことではないではありませんか。

体験談募集 ポリアモリーについて

ポリアモリーを実践している方、ぜひお話をお聞かせください。


家族のあり方が多用する流れは止められそうにありません。
ポリアモリー? なんじゃそりゃ。そう思った方はWikipedlia を探すことになるでしょうから、先にリンクを張っておきます。

ポリアモリー

モデルプレス 複数人と同時交際「ポリアモリー」な女性たちが急増中 浮気や不倫と違う新たな愛の形とは 

愛する人は一人でなければならないのでしょうか。
愛する人に序列を付けなければならないのでしょうか。

浮気でもない、不倫でもない。
新しい愛の形を育んでいる方のお話をお聞かせください。

母親は見つからなくていい。面倒が増えるだけだから

とある女性から4年ぶりに連絡がありました。不倫をしているのに、それを隠して離婚を迫り、父親を家から追い出してしまった母親との生活を、半年前に終えたとのことでした。

当時、中学3年生だった彼女には、唯一無二の弟がおり、高校には進学しないで働くことを決意します。母親が、ろくに食事を作らなかったので、弟を助けたいと思っていたのです。

親の離婚を経験し、恋愛や結婚に夢も希望も見出だせず、子どもに嘘をつく母親に、日々恨みつらみを抱えて毎日を過ごしていました。

追い出された父親は料理人でした。日々の食事は父親が作っていたとか。母親から「高校ぐらい出なさい」と言われて進学しましたが、ろくに食べることが出来ませんでした。やがて彼女は弟を「養う」ために援助交際を始めてしまいます。その間、4年連絡が途絶えていたのです。

援助交際で得た収入は、弟の服やおやつ、給食費、時には食事を作り、自分のお弁当を作り、部活の費用に消え・・・そんな高校時代も終えて、今はドラッグストアに勤務。母親の家には代わる代わる男性が出入りしていたため、独立してアパートを借り、弟くんも今はそこから高校へ通っているとか。驚くべきことに、弟くんの高校入学手続き、学費の支払も彼女がしたというのです。

彼女は、しばらくは父親とも連絡を取り合っていて、1ヶ月に1〜2度、遠い街に住む父親と会ってお小遣いをもらったりしていたのですが、高校を卒業する直前、父親は肝臓を患って他界してしまいます。葬儀に参加したのは、彼女と弟くん、そして父親の内縁にあった女性でした。今もその女性は、母親のように彼女たちの面倒を見てくれます。

しかし、弟くんが不登校になり引きこもっている・・・ そんなわけで、たまさんに連絡をくれまして、週末、私と一緒に3人で、ちょっとした登山をしました。中学生だった彼女は、すでに「お母さん」の顔になっていました。

母親を怨み、ようやく絆を取り戻した父親が他界し・・・高校生でありながら姉が男性を相手に生活費を稼いでいたことを知ってしまった弟くん、なぜだか姉のことが許せなくなってしまい、自分の存在を恨んでいました。「俺さえ居なければ、お姉ちゃんがこんなに苦労することはなかった」と。

姉弟の母親は、今どうしているのでしょうか。もう半年以上、母親が家に戻った形跡がないそうです。

「捜索願は? 警察に相談しなかったの?」
「母親は見つからなくていい。面倒が増えるだけだから。好きな所に行けばいいよ。どうせ男の所に入り浸ってる。そのうち帰ってくると思う。卒業式に来てくれたのも母親じゃなく、父親の内縁の人だった」

下山した後、近場の温泉で汗を流しました。
弟くんがつぶやきます。

「俺って将来、父親になれる自信がない。父親みたいに早く死んじゃうんじゃないかな。わかんないけど。生きていても全然楽しくない。姉ちゃんはよくやってると思うけど幸せじゃないと思う。でも俺はどうしたら良いのかわからない。姉ちゃんも同じだと思うけど、家には戻りたくない」

「姉ちゃんにどうして欲しい?」
「幸せになって欲しい」

青森県は短命県と言われています。

塩っぱいものが好きだから?
朝からラーメン食べてるから?
喫煙率が高いから?
お酒が好きだから?
雪が多くて冬季鬱に陥るから?

どれもあるんでしょうけど、どれも違うような気もします。

姉弟は今、自分たちが幸せに歩める道を探し続けています。

(実話を元に再構成しています)

留守番電話 050−3561−3310

日本人のタブーは家族の話

皆さんのタブー話はなんでしょうか?
お金の話? セックスの話?
個人によっても、相手によってもいろいろですが、いま一番タブーなのは「家族の話をすること」ではないでしょうか。津軽ファミリービジテーションホームは、家族にまつわるモヤモヤを話せるところです。
生活スタイルの多様化で、家族の形にもいろいろな形が出始めました。それが良いか悪いかと言うジャッジをしたくなる人も増えています。それぞれが不幸になることなく、不幸にすることなく、どうなれば幸せか探せるといいのに。
昔はああだこうだとナンクセを付けてくるジジババにはうんざり! …みたいな感じで、自分を語れない、自分の生き方を封印してしまう、という生きにくい社会になっているようです。

結婚もその一つなのでしょうか。
結婚するということは、二人の関係が、ひいては子供の関係が法的に縛り付けられるということです。無法なことにならないよう縛るという言い方もできますが・・・関係が悪化してしまうと法律だけではどうにもならない結末が待っていたりします。そこに、法律ではこうなっている!ということを説いても、その通りにはならないので日本のあちこちではおかしな事件が起きています。

統計によると、殺人事件の多くは家族間で発生しているとか・・・

好きあって、愛し合って、手を取り合って、協力しあって、幸せになれると思っていたら・・・いつの間にか、夫を殺したいと思っていたり、死んでしまいたいと思ったり。
今や「死にたい」などと口にすることさえ出来ません。杓子定規的な
行政が過剰に反応してしまい、警察が過剰に家族を保護したり、保健所が過剰な対応をしたりと、ろくな結果になりません。

先日、神奈川県座間市で自殺志願者をツイッターで誘い出し、アパートの一室で9人を殺害するという凶悪な事件が起きました。けれども、犯人が語った言葉は・・・「本当に死にたいと思っていた人はだれも居なかった。私は殺人を犯した」と供述しました。

さらにツイッター上では #しにたい というハッシュタグが流行しているようですが・・・こちらは「しあわせになりたい」の略だそうです。

これが意味するところは「死にたい(死にたいくらい辛い)」という気持ちを吐き出すところがない、吐き出したら最後、周りから奇異な目で、というか危険な人物のように思われてしまうことが背景にあるような気がします。

死にたいと思う原因の大半は、身近な人間関係にまつわることが多く、配偶者や親からの支配関係に悩む方が多いように見受けます。裏を返すと、その関係を見直して、幸せになりたいということなのですが、幸せだった実感がなかったりすると「生きている意味がわからない」というふうになってしまうようです。
確かに、「やりたいことを、やりたいようにやればいい」と言われても、何をしたら良いのか、何ができるのか、かなり多くの人々が自信を失いかけています。

そこに行政の経験未熟な相談員が「あなたは悪くないのよ」などと畳み掛け「悪いのは相手なんだから」と会ったこともない人の裁定を下してしまいます。世の中、一方的に悪いということはあまりありません。

「あなたは悪くないけど、相手が悪いわけでもない。違いを見つけて認め合いましょう」ということが、まずありません。誰かを悪者にするのはとても楽です。けれども、また重荷を背負ってしまうことになり、辛い毎日になります。

もちろん、良い悪いで片付くことではないです。特に家族間のことだから。家族にしかわからないことだから・・・と言うのは、言語化できない人の偉そうな言い訳です。自分に向き合っていけば「死にたい」のではなく「死にたいくらい辛い」と、一歩前進できる日が必ず来ます。

たまさん家族相談では、どんな話をしてもOK!
タブーを気にしないで電話してくださいね。

留守番電話 050−3561−3310

9月のミーティング

今週も土曜日10時からランチタイムまで、ミーティングを行います。会場費資料代として500円+任意献金があります。

ランチタイムのフリートークにもご参加希望の方は、どうぞオカズ一品の持ち寄りシェアをお願いします〜

今週は金曜日のゲストルームが他のご予約で満室なので、前泊はシェルター室(ベビーベッドがある一人部屋)のみの空きになります。ご了承ください! ( ^ω^ )

生きづらさの源

社会の仕組みが複雑になって、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ・・・ 身近にある典型的な「ふりまわされ例」は、例えば、お財布の中のポイントカードではないでしょうか。「ポイントカードありますかー」と、大して貯まらないのに、カードがないと貯まらない。あまり行かない店でも、カードを持っていないと貯まらない。いつまでもお財布を占領して、ポイントが100円くらい、ということも多いですね。

スマホにしても同じこと。特に学校では「他の人が持っているから」「LINEしたいから」「ツイッターもやらないと皆についていけない」。次々とスキルが要求されます。そして疲れて行きます。そこで求めているものが見つかれば良いのですが、果てしない宝探しのようになり、やがてそれなしでは生きていけないような感覚になり、人と人のリアルな距離感がつかめなくなると、人間関係に温度差ができてきてしまいます。

本当は、そんなツールに頼らなくても、身近に誰かがいるはずなのに、「大勢の人に、いいね!すごいね!」ってポチッとして欲しい、いわゆる「かまってちゃん」や「承認欲求」がムクムクと頭をもたげ、「もっと!もっと!」と要求がエスカレートすると、突拍子もない言動で耳目を集めようとして、極端な行動に出てしまう人がいます。例えば、YouTubeに投稿されたいたずら動画は、警察官に近付いてポケットから「白い粉」の入った小さな袋を落として慌てて逃走。「白い粉」の正体は、塩だったので無罪放免。警察官が必死に追いかけてくる様子を遠くから撮影。いたずらを仕掛けた人が軽犯罪法で「本当に」検挙されるという顛末になりました。

人は、犯罪を犯す瞬間、悪さをしているという意識から遠のくことがあります。ある種の現実逃避があったり、強い自己否定からの脱却だったりすることもあります。

上記のいたずらの例は極端ではありますが、自分を知ってほしい、注目して欲しい(注目獲得行動)という意識の裏側には、「物心がつく前」のできごとが根深く関係していることがあります。

わかりやすさのために、ごく一般的な例で紹介すると、親からの全面的な保育が必要だった幼いころに話は遡ります。

人は、あらゆる動物の中でも極端に未熟な状況で生まれてきます。海で生まれる魚の大半は、すぐ荒波に向けて泳ぎ出します。生まれたばかりの子鹿が、ものの数十分で立ち上がり、自力で歩いて行く姿をみたことがあるでしょうか。人の赤ちゃんとは比べ物にならないくらい、自立や巣立ちのタイミングはとても早いです。

人の赤ちゃんは、お母さんからミルクをもらい、おしめを替えてもらい、あやしてもらい、寝かしつけて貰う必要があります。そして何年もの間、親が運んできた食事に頼ります。

赤ちゃんが泣いていたら、あなたはどうするでしょうか。どうしたのかなと様子を見に行き、抱き上げたり、おなかがすいたのかな、ウンチでおしめが気持ち悪いのかなと、何かを気遣うことでしょう。

しかし、さびしくて泣いても誰も来てくれなかった、おなかがすいているのにしばらく耐えなければならなかった、ずっとおむつが気持ち悪いままだった・・・そんなことが何度も続くと、赤ちゃんも「絶望的」に感じてしまいます。

学童となっても、テストで良い点をとったのに褒めてくれなかった、マラソン大会で上位入賞したのに関心を持たれなかった、友だちを連れてきても快く迎え入れてもらえなかった、などなど、総じて親の「無関心」が、子の存在意義や自己肯定感を低くしてしまいます。ほとんどの場合で親には悪気がありません。気がつかないか、気がつくことに関心がないのです。

あるいは、仕事や家事が忙しくて充分に親子の接触が持てなかったとか、親がテレビに夢中になっていたとか、テレビに子育てをさせていた、なんていうこともあるでしょう。

抱っこして欲しい時、誰もしてくれなかった。
お腹が空いた時、誰も食べさせてくれなかった。
褒めて欲しい時、誰も褒めてくれなかった。
そして、いま思えば
叱って欲しい時、誰も叱ったくれなかった。
さらには、
背中を押して欲しい時、押してくれなかった。
止めて欲しい時、止めてくれなかった・・・・

「私はさびしくて、苦しんで、一人で頑張っていたのに」

という被害感が自分の中に醸成されて行き、ついには「私だけ、どうして?」「私は誰からも見向きされない」「それは私がかわいくない、かっこよくないからではないか」という強迫的な思いが募ります。

そんな生き方の癖が、生きづらい感情を招いてしまいます。当の親には、「私もそうして育てられてきたから」という弁解がありますので、決して「ネグレクトした」という気持ちがないことがほとんどです。

しかし、子が問題行動を起こすようになると、子が物心つく前の功罪について考えなくてはならなくなる時が、遅かれ早かれ、親と子のどちらかに訪れます。多くの場合、子が反発することで問題が表面化しますが、子が「私自身に問題があるのではないか」と、怒りを封じ込めて良い子を振る舞うことがあると回復までの道のりが少し遠くなることがあります。

皆、同じように裸で生まれてくるのに、成長していく過程で、様々な家族の柵(しがらみ)に物足りなさを感じて、そのさびしさやつらさを「絶対の愛」に求めることがままあります。

実際には、それを他人から与えられることはなく、小さな好意を与えられても気が付かなかったりします。「絶対!」が必要だと感じているから、周囲の声や忠告、気遣いが物足りなくて、厚意に感じません。そうすると「あの人には何を言ってもダメだよ。感情がない人だし」と良くない評価をされてしまいます。壊れ行く人間関係がさらに生きづらさを増長させてしまうと、当然、体調にも影響が出てきます。そうすると、眠れなくなり、食べられなくなり、家から出たくなくなり、世の中の人がすべて敵に見えたりと、極端な考えに苛まれてしまうのです。

実は、眠れないというよりも「眠るより何か自分にできることがあるんじゃないか」と目が爛々としてきます。「俺は正義に満ちて、悪と戦う!」という「中二病」のような現象も、同じ背景があるのかもしれません。しかし、戦うべき「悪」の姿はなかなか見えません。自我の形成とともに物事の善悪が分かってくるのと違って、自分が決めつけてしまった「悪」や、思い込んでしまった「悪」のイメージを追い求めても、他人には見えない(見えにくい)ものであるため、様々な誤解を受けるようにもなってしまいます。

では、どうすれば良いのでしょうか。

就学前後の子に、夜、ママのおっぱいをさわりながら寝たり、哺乳瓶でジュースを飲みたがる子がいたります。そんな時は否定せずに肯定して、さわらせてあげてほしいし、哺乳瓶でジュースを飲ませてあげてほしいものです。本人にとっては大事な問題なのです。無意識でも、それを思い出して満たされたいと思った時に、満たされて生まれ変わることはとても重要なプロセスになります。そのようなサインは、とても貴重なことでもあります。

そうして、子は、ひとつひとつを乗り越えて、達成感と満足感を味わって次のフィールドへ自分の意志で進みたいと考えています。

大人になると、もうそのような経験は恥ずかしくてできないかもしれませんが、もしパートナーにそのような理解があれば、頭をなでてくれたり、だっこしてくれたり、哺乳瓶でジュースやミルクを飲ませてくれるかも知れません。

完全なもの、絶対なものを求め続けても、相手がいる以上、余程の理解と協力がなければ、それを追い求めることすら疲れてしまいます。私たちは「相手の感情をゆらしたくなる」ものです。

しかし、そこに完璧さを求めて頑張れば頑張るほど、得られないつらさと、得るための行動に疲弊してしまい、「死にたい」という気持ちになってしまうのです。

その「死にたい」気持ちは、いつになったらなくなるのか。

これは経験的なもので、自分が欲していた「絶対の愛」「完璧の愛」を他人に施すことが早道なのではないかと考えます。一生懸命に与えるのだけれども、なかなか相手に伝わらないことを感じた時、自分もまた絶対や完璧ではないことを徐々に知り、穏やかさ、優しさ、居心地の良さを体験して行くことで、安心感を増し、日常の小さな幸せを嬉しく感じられるようになります。

「絶対に」とは言いませんが、絶対0ではなく絶対100でもない、心地よく気持ちが揺れ動いたり、完璧ではないものに愛着を寄せたり、それを「補完」して行く楽しさを感じて行くことは、きっと誰にでもできるはずです。

そして、生きづらさを抱えた人々は、決して何かの能力に劣っているということはありません。むしろ能力が高いゆえに、それを喜んでもらえなかった、さらに高めてくれる人がいなかった、ということであって、そうした「高める」接し方をしてくれる人との関係性を、本来は望んでいるのではないでしょうか。

なかなか欲しいものは簡単に手に入らないものだ、与えようと思っても難しいのだから、そう考えて、誰かを高慢に責め続けることは、さらに生きづらさを強めてしまいます。

気がつくことはなかなか難しいものですが、誰かと励まし合いながら、閉塞感、焦燥感、絶望とイライラをひとつひとつ「解除」して行くことは、憧れのアイドル歌手と結ばれることよりもはるかに手軽なものです。一人では気が付きにくいかもしれません。けれども、「それでも良いから」と門戸を開けて待っていてくれる人は、案外すぐ近くにいたりするものです。

気がついてみてくださいね。

たまさんに何かを話してくれる時は、どうぞゆっくり時間をかけてください。初めはプライドのために誤魔化しがあったり、回想の邪魔をすることもあるでしょう。あなた一人ではないです。そうやって乗り越えて、生まれ変わって、心地よい関係を探すことができるのが人間の特権です。

心に着ている強靭な鎧を、ひとつひとつ脱いでいきましょう。

別居親の集い 2017年・夏

8月、11(祝)、12(土)、13(日)
別居親の集い(案)を企画しています。
10日からの前泊、後泊して14日出発もOK!

面会交流真っ最中の方、これから面会交流に望む方、面会交流が途絶えてしまった方、面会交流に携わっている支援者の方、男女問わずご参加いただけます。

◆各自の近況報告と面会交流の拡充例紹介
◆共感セッション
(自分の経験を語ります。誰かの話に聞き入る、共感する、自分の心の財産として蓄積する訓練を毎日やりましょう)
◆お手紙セッション
(別居している子に、どのようにして愛情を伝えるか。日頃お世話になっている人に、感謝の気持ちを書いてみましょう。自分の思いと行動に乖離があることに気がついてみましょう)
◆ビジネスセッション
(写真整理のノウハウ、インターネット共有方法など、みんなで研究し、いつか我が子とシェアできる日に備えましょう)
◆祈りのセッション
(宗教宗派に関係なく、自分が信じている”神”に困難を委ね、配偶者や子どもの幸せを祈り、それを言葉にしてみましょう)
◆やましいセッション
(積もり積もったやましい気持ちを打ち明けて、平川に置いていきましょう)
◆お盆セッション
(死んでしまった大切な人の魂を成仏させて手を離してみましょう)
◆同居親トーク
(同居親の本音を直に聞くことができるかも)

◆親子農園灯篭まつり&ビアパーティ
親子農園にたくさんの灯籠をぶら下げて、みんなでビアパーティ&焼肉を楽しみましょう。
◆行政セッション
行政機関への要望を声明として発表しましょう。

◆基調講演(案)
面会交流のはじまりと遷移(弁護士)
同居親によるゲートキーピング(臨床心理士)

▲外国籍の方のご参加もOKですが、すべて日本語によるセッションになります。レポート等を英訳してくださる方を募集しています。

▲お車での来訪も可能です(数台・無料)
▲参加人数10名程度
▲毎日(10~14日)近郊温泉ガイド付き(入湯料各自)
▲一泊3,000円を予定(食事は食費シェアの上、共同調理)
飲酒は夜10時まで

たまさん家族相談 050−3561−3310 (留守番電話)

出さない手紙

なぜかわからないけど、説明ができないけれど、産前産後から始まるイライラした気持ち。つい子供の前で夫に当たり散らしてしまい自己嫌悪。自分では制御出来ない気持ち。どうして私だけが・・・という孤立感。

他のサイトでは、女性同士が陰鬱とした気分で「そうそう、あるある!」と共感していることが多いようですね。青森のコミュニティでは、ミーティングの際、自分の発言はすべて受け入れられます。また、そこで話されたことは、陰口や悪口にならないよう、すべて自分の心に持ち帰っていただくことになっています。

しかし肝心の「いちばん解って欲しい人」に、その想いは伝わっているでしょうか。最近、当ミーティングでは、パートナー(夫)に、自分の気持ちを手紙で伝えることを推奨しています。

一口に「私、産後うつみたいなんだ」と話しても、残念ながら夫はなかなか理解ができないものです。脳の仕組みも心の仕組みも違う。普段の会話で「あなた、あれをしてくれなかった!」「こんなひどいことを言った!」と夫を責めるのではなく、気持ちを綴ってみませんか。



私は、子育てをしている時、あなたにこれ手伝ってとひとこと言うことができなかった。そんなことをお願いしたら、あなたが怒ってしまうんじゃないかって、どうしてか勝手に決めてしまったの。そして、言わなくてもやってくれるものだと、あなたに甘えてた。それなのに、私はあなたに何も頼んでいないのに、「あれしてくれなかった!これしてくれなかった!と責めてしまって、ごめんなさい。


 怒り出しちゃうと溢れてきて止まらなくなるの。そしてあなたを困らせてしまう。あなたがせっかく作ってくれた食事にも嫌悪感を感じたり、お腹が空いているのに意地で食べなかったりするの。


いつの間にか、すべてをあなたのせいにしている自分に気がついて本当に嫌になるよ。だけど、それも言葉や態度で見せたくないの。だからお手紙を書いてみました。


あなたのことや家族のことを心から愛しています。それでも今の私の気持ちはなぜか、ちょっとしたゴミが気になって触れなかったり、子供のうんちを見るのさえ嫌になってしまうこともあるの。「ああ、私は母親なのに」って、自分でもがっかりしちゃう。


あなたはそういう私を見て、嫌な気持ちになっているでしょうね。あなたが子供をお風呂に入れてくれたり、オムツを換えてくれたりすることを、本当は心の底でありがとうって思ってるの。だけど、面と向かって素直に言うことが、今はできません。それをどうやって伝えようかと、ずっと悲嘆にくれていました。


お義母さん、お義父さん、本当に良くしてくれるのに、今の私は悲しい顔や怒りを悟られたくなくて、かなり無理してる。でも、あなたが悪いとか、何かして欲しいっていうではないの。私自身のことだって気がついたから。あなたは、私が義両親を嫌いでうまく行ってないと思っているでしょうね。決して嫌っているわけではないの。今は誰に対してもいい顔ができなくて。義両親の来る回数が多いから、どうしてもそう見られてしまうのはわかっています。会いたくないわけじゃないの。私が元気になるまでの間、お会いする回数を少し減らしてもらえたら、私はもう少し頑張れると思うんだ。


なぜか、頑張って!と言われると、私、猜疑心とか、「頑張ってるのに」っていう反抗心が出てきちゃう。え? もっと頑張らないとダメ?って落ち込んじゃう。


むっちゃ都合いいことを書いているかもしれないけど、あなたには、このつらい気持ちを知ってほしいの。理解してと言っても難しいと思う。「ふうん、そうなの?」って、関心を持ってくれるだけでも安心するのかも。悪気がないのにそうなっちゃうの。


家事も育児もさぼっているつもりはないんだけど、思うようにできなくて、あなたに叱られて嫌味を言われて、とてもつらい気持ちになって、でも、あなたの言うとおり、ぜんぜんできていなかったからね。「ちゃんとやりたい」って考えるほど、どこかから怒りや悲しみがわいてきてしまうの。そして「子供にも申し訳ないな」って後ろめたい気持ちなんだけど、そこから這い上がれない時に、あなたにガツンと本当のことを言われちゃって、恥ずかしいやら、腹が立つやら・・・(ごめんなさい。ぺこり)


それを、あなたが怖がったり、嫌がって友達に愚痴を言ってるのも知ってる。そういう気分になっちゃうよね。あなたの気持ちがだんだん離れて行ってるのも感じてる。つらい気持ちに、寂しい気持ちも混ざってしまって。
あなたは私にとって特別な人。家族にとっても大事な人。わかっているのに、あなたに当たったり、物を投げたりしてしまうの。そこは悪かったなって、いつも後になって反省しているのに、それをきちんとあなたに伝えたことは一度もなかった。


これからは頼みたいことは、できるだけ素直に頼みたいと思っているの。イライラしてうまく伝えられないかもしれないから、短いメモで、伝えることがあるかもしれない。それは、あなたを嫌いだからじゃなくて、私がうまく伝えられないからなのね。その時、嫌な気持ちになったらごめんねって最初にあやまっておくね。いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。またお手紙かいていいですか?」


・・・みたいなの。ね♡

産後うつのミーティングは、毎週土曜日 午前10時からです

2018年からは家族相談の一環として相談受付を統合します。