お笑い内閣府

なんかおかしいと思いませんか?  セックスではなくてレイプの間違いですよね。

内閣府の印象操作とはかくも悪辣です。こんな政府なんですね。男女共同参画と言う言葉もすごく聞こえが良いですが、実態は性の否定です。危険な「思想」と言っても良いでしょう。

甘え上手になりませんか

「ええ、あの、いいです、いいです」

他人の厚意を、つい断ってしまう。上手に甘えられない、というちょっともったいない方のお話です。

「こんな人に甘えたくない!」という変な意地やプライドもあるのでしょう。それに、甘い誘惑を仕掛けてきて何かを要求されるのではないか?という警戒感もありますね。そうした小さな「裏切り」を経験していると、甘えられない、甘えたくない、甘えようと思わない・・・となることがよくあると思います。

ただ、せっかく親しくなった関係なのに、それでも「上手に甘えられない」。親しくなればなるほど、自分の気持や希望が言えない、という状況になるのは、スーパーの試食コーナーを通り過ぎて生唾を飲むくらい、ちょっと残念すぎます。

「甘えたら、嫌われるのではないか」「わがままな人だと思われないか」そんな、自分に対する警戒心が邪魔をします。根底には「自分のことが好きじゃないから」という心理が働いているようです。それが、大切な人であればあるほど、上手に甘えられず、気持ちが通じ合わなくなるのは残念すぎます。

そして、上手に甘えられない人ほど、なにか別のことに依存していることもあるようです。甘えと依存は似て非なるものですが、似たようなものに感じて、後ろめたさが勝ってしまうことがあるようです。

「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」

悪いことじゃないのに、その一言が言えない。ああ残念。

「甘えたら、拒絶されないかな」
「甘えたら、相手に迷惑がかかるんじゃないか」

甘えるのが上手ではない人は、相手の気持をよく考えてくれる人に多いようです。むしろ社交的で、繊細な芸術家肌で、物事の順番を守ったりしてくれます。けれども、そんな自分が好きではない・・・ あなたを評価してくれる人が、厚意を寄せてくれています。けれども、あなたは「自分にはもったいないのでは?」と、自分を拒否してしまいます。ああ、もったいない。

いま日本では「女性の社会進出」が叫ばれています。どうやら政府の言っていることは、政策上の上っ面・・・という感じがしますが、それはさておき、女性が活躍するシーンが増えていることは事実です。また、夫婦平等に子育てに関わることが求められている時代に、甘え下手のために、夫に不満を募らせる人も少なくありません。

夫が曲がりなりにも子育てに関わろうとしているのに、
「これは私じゃないとダメ」
「女の苦しみを男はわからない」
「オムツ替えまでさせるのは申し訳ない」・・・そう言って、丸抱えしてしまうと、やっぱり疲れてしまいますよね。

それでも、多くの人は「どうして私は上手に甘えられないんだろう」と悩みます。それが苦しくなければ良いのですが、たいていの人は、やはり苦しみの元になります。苦しみの元は、どこにあるのでしょうか。

多くの場合、家族関係の中にそのヒントがあります。

長女であったために、良い子を演じなければならなかった。妹や弟の手前、いろいろなことを我慢しなければならなかった、ということもあるでしょう。

「あなたは、おねいちゃんなんだから、しっかり。我慢しようね」なーんて言われたことはありませんでしたか? 子どもなのに遠慮しなければならなかった、自分のことは後回しにされていたとなると、上手に甘えることが身につかなかったと言うことかも知れません。

また、家の中の大人が仕事や家事に忙しく「親から愛された記憶がない」「大切にされている感じがしなかった」という事情も多いようです。

そして、家の中に異性が存在しなかった場合(特に、幼少期に父親との距離が遠かったり、様々な事情で頻繁に会うことができなかった場合)、男性にどう接してよいのか、どう甘えたら良いのか・・・という葛藤と混乱が生じやすいと言われています。それが、甘えさせ上手のパートナーの導きで、だんだんと回復できれば良いのですが、上述の通り「嫌われるのではないか」という不安があるため、一歩踏み出して甘えさせ上手になることが困難になると、もったいないのも度が過ぎてしまいます。

そうすると、職場や学校でも、誰かに頼って(信頼して)気持ちを休めることができなくなってしまいます。それが積み重なると「生きづらい」感覚が顕著になってきます。なにかに依存している時は気がつかない、または過度な依存の中で、そうした感覚に気がつくこともあります。

生きづらさから解放されるには、自分の性格を変えることが一番の近道ですが、そう簡単に行かないことは、たまさんも知っています。時間がかかります。けれども、自分を変えたいと思ったら、それは思い続けることでチャンスは何度も巡ってくるはずです。まずは、自分に甘えて、甘える自分を許してあげるというのはどうでしょうか。

「今日の仕事はちょっときつい。少し自分を休ませてあげよう」
「今月は頑張って働いたから、自分にご褒美を買ってあげよう」

そんなことから始めてみても良いと思います。

たっぷりの時間をかけて、のんびりとお風呂に入ることも、自分を大事にしていることになるでしょう。早めに歯医者に行って、痛いところをなくしてしまう。そんなことも「自分を大事にしている」ことになると思います。

そのようにして、少しずつ自分の状態を受け入れて行動することが、性格を変えて行く歩みになります。

誰かと一緒にゴハンを食べている時、「それ少しちょうだい。私も食べたい」、「これは食べる気分じゃない。代わりに食べて」という感じだと、言いやすいのではないでしょうか。そのようにして、少しずつ「お願い」と増やしてみると、甘えることの気持ちよさや、逆に、甘えられることの心地よさを、あらゆる人間関係の中でシェアして行くことができます。

「えー、それは嫌だよ!」

時には、そう言われてしまうかもしれません。でも、それに怯まなくて大丈夫です。相手にも断る自由があるように、あなたにも断る自由があります。甘え上手になるということは、嫌なことを背負わず、断り上手になることでもあります。

そのようにして、「これは好きだけど、これはキライ」と自分を表現し、ありのままの自分を見せることができるようになると、対人関係はより深まると考えられます。

甘えたり、甘えられたりを繰り返して、自己開示を繰り返すことで、親密な関係を深めて行くことができるようになります。上手に甘えましょ。ねっ!

東日本大震災から7年

あの東日本大震災から7年が経ちました。

テレビや新聞は盛んに震災の特集を組んでいます。

私は仙台で被災した一人として、今日はまったくテレビも新聞も見ませんでした。ラジオもです。判で押したような「追悼」という言葉。

「黙祷」とツイートする人々のうち、津波で荒れ果て、あらゆる腐臭が漂う壮絶な現場を自分の目で見た人は、どれくらい居たのでしょうか。

たまさんは、できたら忘れたい。

忘れたくても、忘れられないこともあるのです。

一般論ですが、心の中のトラウマは無意識下にあり、自分の目で見たものよりも遥かに大きなものを抱えることすらあります。7年が経って、たまさんは、自分の心の中に気がつかないで放置しているトラウマがあることに気が付きはじめました。それを自覚するまで7年かかったのです。

愛する家族の前では「明日の食料? 大丈夫、なんとかなる」と気丈に振る舞いました。停電による都市で見る満天の星空、それはとても美しいものでした。けれども寒かった。あの日、大地震の直後に雪が降ってきました。しかし、その時に感じた不安は、自分の中に押しとどめたままでした。

そのころのたまさんはマンションに住んでおり、屋上には10トンの飲料水がありましたが、水道管が破裂して、飲料水の確保が容易ではなくなりました。ちょうどたまさんは、お客様から預かったぬいぐるみを洗っている途中で、数体をすすぎ出来なくなりました。このまま水中につけ置くことのリスクを感じていました。

100キロ南では原子力発電所が次々と爆発し、逃げたら最後、永久に戻れなくなるのではないかという思いがよぎり、それをビデオに向かって話している自分の姿を直視することが、この7年間できないでいたのです。

本当は怖くて不安だった。余震がある度に怯える妻を心配させないよう、大丈夫!と言い聞かせたり、1歳になったばかりの長女の前では、楽しく歌を唄ってピエロのようにおどけてみせたりして。

放射能を心配して一目散に逃げるより、余裕な気持ちを見せてゆっくり逃げる。それが安心させることだと自分に言い聞かせていました。

当時1歳だった長女は、呼びかけに対して「はい」と御返事ができるようになっていました。気持ちの受け答えができ始めてきた頃です。大地震のことを、今でも意識的に覚えているのかどうか。本人に聞いてみないとわかりませんが、記憶に残っていないとしても、そこに生きていた限り、記憶の彼方にその情景や社会の混乱を無意識下に刻み込んでいたことでしょう。

意識的な記憶でも、子どもは侮るなかれ、大人よりもはるかに記憶力は良いものです。中には、生まれる前の記憶を持っている子もいるといいます。やがて、その時が来たら、俺は親として、しっかり向き合いたいと思いました。それは、自分にもトラウマがあったんだと自覚したからです。

そして、もう一人、トラウマを抱えた人がいました。

それは俺の奥さまです。今それを話し合う術はなく、自分以外のことは、予測に過ぎませんので、そこは割り引いて読んで下さい。現段階では、たまさんが、そう思っているだけです。

長女が生まれたのは、2010年3月。結婚から10年が経っていました。ようやく授かった子でした。不安にさせないようにと、長女に話しかけたり、歌を唄ったり、俺と同じことしてくれました。その姿を見て、俺は「大丈夫だな、心配ないな」と思っていました。

実際に、そこで何が起きたのかという事実よりも、どのように心が動いたかということは、いろいろなことで見過ごされがちです。例えば、実際に強盗に襲われなくても、強盗に襲われそうなところへ迷い込めば、それと似たような心境になります。強盗に襲われれば、なお深刻ですが、どちらにしても生きた心地がしなかったということになるでしょう。

東日本大震災の翌日、東京電力福島第一原子力発電所が”水素爆発”を起こしました。今では誰も水素爆発だなんて思っていないと思います。仙台は晴れていました。ラジオニュースが盛んに、原子力発電所ゲート付近の線量を読み上げていました。確か570マイクロシーベルトとアナウンスしていたような記憶があります。少し原子力事情に詳しかったたまさんは「メルトダウンした」とすぐに確信しました。

電気をはじめライフラインはすべて停止し、すぐにやらなければならないこともなくなったので、近所の避難所へ食料を求めて出向いたのですが、避難所は人でごった返しており、その雑踏やざわざした声が、なんとなく不安な気持ちを増幅させました。なぜか今、7年前の不安が、たまさんを苦しい気持ちにさせることがあります。なぜなのかという自問自答は置いといて、今日は、そのモヤモヤと向き合うことにしました。

避難所に滞在することは、余震がある度に人々のパニックを目のあたりにすることでした。それで、静かに子供の世話をするためにもマンションの部屋へ戻ったほうが良いと考え、それ以後、避難所に行くことはありませんでした。

そして奥さまは、ニコニコした顔で長女をベランダに連れて行き、レジャーシートを敷いて、長女と一緒にお菓子を食べはじめました。それは、まるでピクニックのようでした。

奥さまも不安な気持ちで一杯だったに違いない。おそらく、ここで再びピクニックをすることは、もう出来ないかもしれない。そんな想いが奥さまによぎり、ベランダにレジャーシートを敷いて「今日で最初で最後だね」という覚悟のようなものがあったのだろうと思います。

授かった小さな命を親として守りたい。その後、たまさんは青森へ一時的に避難し、約1ヶ月後に仙台へ戻りました。ここでは詳細を省略しますが、そしてさらに1年後、次女が生まれたこともあり、様々な想いもあって青森へと移住しました。安心できるはずの移住。事実、今は安心できる生活を送っています。そして、7年経って、無意識下の記憶がじわじわと蘇って、心がざわざわする日が来るとは、まったく思っていませんでした。

トラウマの現れ方は人によって様々です。震災当時から連日うなされて寝る人もいれば、1年後に不調を来たす人もいます。興味深いのは、第二次世界大戦当時、悲惨な沖縄戦や空襲を体験した人々が、現代に老い、認知症を深刻化させるごとに、70年前のトラウマを表出させて苦しんでいるという事実です。

いや、もっと早くから何らかのサインが心身から出ていて気が付かなかったのかもしれません。なにかの病気のきっかけになっていたのかもしれません。トラウマとは、そのようにじわじわと、またある時は、くっきりと現れるようで、決して消えないということです。目で見える意識下では大丈夫!と言い聞かせていても、無意識下には、雰囲気・音・臭いなどを伴って、その時に自分に言い聞かせてきたこととは裏腹なものが、根底に残っているようなのです。

話は逸れますが、冗談やおふざけで、友達やパートナーをたたくような仕草・動作をすることがありますね。実際に叩いていなくても、その動作が繰り返されると「いつか本当にたたかれるかも知れない」と小さな不安が蓄積していきます。

それで、たまさんは、東日本大震災の記憶を、奥さまと話し合って分かち合っていたかな、不安な気持ちを察して、心地よい言葉をかけてあげられたのかな、と思うと、それはよく覚えていないのです。自分が一杯一杯だったこともあるのでしょう。

覚えているのは、ベランダでのピクニックのことだけで、時間とともに奥さまの気持ちを察することからも遠ざかってたような気がします。

寄り添うということは、後からでも出来ますが、それこそ”早め”の対処が必要だったように思います。より深く、他者が理解するには、とても長い時間がかかるからです。今回は自分自身のことなので、ここにこうして書くことで揺らいでいる部分を見つけて行きたいと思います。

なんのためのパートナーなのか、ということです。

DV相談から見えてくること

「私はDVの被害者で、夫からあんなことされて、こんなことされて・・・」と言う相談は日常茶飯事のことです。どうぞどうぞ、たくさん話してください。つらい思いをしてきたことは事実です。たまさんが、ゆっくりとあなたのお話を聞きましょう。

ほとんどが女性からの相談ですが、男性からの相談も少なくありません。

「私は妻から包丁を突きつけられて、死んでやる!と日々脅されています。子供の目の前で、です。なにか面白くないことがあると、ちゃぶ台返しは日常茶飯事で、この前はテレビのリモコンを投げつけられました」

今や、DVは日本の日常になってしまったかのような気持ちになります。

数限りない相談を俯瞰してみると、どうやら日本のDVと言うのは、「被害者」か「加害者」とレッテルと貼らないと気がすまないようです。

お話を聞いていると、「夫からこんなことをされたから、こうやり返した」とか「DVは女性が受けるものであって、女性からのDVはありえない」と論じる方もいます。ネットサーフィンをして硬直的な情報サイトを斜め読みして、ガチガチに理論武装しているのも相談者の特徴です。「だから、私は被害者であって、何も悪くないんだ」と思っているようですし、その言葉をたまさんに言わせようという誘導的なお涙も拝見します。

あ、そういうことで、たまさんは動じませんからね。

「DVを受けました」と言いながら報復もしていて、被害者であり、加害者であるのです。そして、加害者になっていることに気が付かないばかりか、武勇伝のようになってしまっています。そして、被害者であるから何を(報復)しても許されると思っている方も見受けられます。

言葉が独り歩きして、「DV」と聞いただけで、さも凄惨な現場を想像してしまいますが、警察が関与すべき刑法に触れるようなケースは、むしろ稀です。それなのに、旧態依然とした女性相談所や福祉相談員が「警察にも相談を」とソーシャルスキル無く、たらい回しにするため、「聞き入れてもらうため」に話が針小棒大となり、被害者のはずが、いつの間にか加害者になって行くようです。

これは、官僚たちが現場を知らないことだけでは済まされなくなります。仮に誇張した相談事実であったとしても、公的機関の書類として残ると、それが「末恐ろしい事実」として独り歩きし、役所は「もう片方の当事者の意見を聞こう」などとは思いませんし、そのような制度も日本にはありません。そのため、日本国内で起きているDVのほとんどは、日本独自のDVである可能性が否定できません。

「そんなこと言ったって、叩かれたんです!」
「包丁を突きつけられたんです!」

命にかかわることは、まず警察に一報を。メモでも手紙でも、なんでもいいですが、「こういうことがあった」と誰かに知らせておくことは重要で、なおかつ・・・

って、おいおい。じゃあ、どうしてたまさんちに相談に来たんですか?

ちょっと書ききれないけど、DV!DV!って騒ぐ人ほど、加害者にもなってるし、被害者にもなっているからね。男性→女性 だけとも限らないし。

大切なのは、加害者にならないことはもちろん「被害者にならない」ことです。

ひとり親?

最近、子供の貧困をめぐるニュースで「ひとり親家庭」という言葉をよく見聞きするようになりました。市役所などに置いてあるリーフレットなどにも同じ言葉を見かけます。

この言葉を巡り、地方議会などで議論がかわされているので、たまさんの考えを書いておこうと思います。従前は「母子家庭」という言葉がよく使われてきましたが、どうやら「父子家庭」が増えてきたこともあってか、それでは具合が悪いということになったのか。父か母のどちらかがいない家庭という意味で「ひとり親」と呼ばれているようですが、問題提起している人たちの考えは「もう片方の親は、まったく無関係なのか?」ということです。

死別して、もう関わることができないのならともかく、離婚や別居であっても、戸籍の中にも親がいる場合、「ひとり親」という表現はふさわしくありません。関わりを持ちたいと思っている親がいるとすれば、その言葉は重たく、すべてを否定されているような気持ちになりますし、両親が存命しているのに、子どもの意志とは無関係に「ひとり親」というレッテルが貼られます。「親」という言葉が混じっている以上、これは否定できない事実です。

この言葉ができた時代背景には、離婚や別居で子供と離れてしまったら、もう子育てには関わらないという、日本独自の文化があるようです。津軽地域ではさらに顕著なことです。

子どもの都合ではなく、親の都合で、両親が一緒に暮らせないのに、片方の親と子の関わりが否定されるのは日本だけです。そこに追い打ちをかけるように「ひとり親」というレッテルを貼り、子どもはそこから逃れることができません。

よく、「子は親を選べない」と言いますが、子は親を選べないだけでなく、親が別居や離婚をするかしないか、という選択肢を自分で選ぶことができません。

ここ2〜3年の間、急速に母子家庭の貧困に関するニュースが増えましたが、子どもの貧困は、そのような「子ども不在」の中で醸成されて行きます。

もう一人いるはずの親は、どこで何をしているのでしょうか。それすらも把握せずに「ひとり親」と締めくくってしまうことは、とても悲しいことです。大人は子どもに何も言い訳ができないはずです。子どもには何も責任はなく、自分ごとで結婚生活の失敗を招いたのですから。

子どもの貧困は、親の貧困であることに間違いはありませんが、親の貧困は「発想の貧困」であり、コミュニケーションの貧困でもあります。

もし本当に一緒に暮らす子どものことを考えるのならば、「もうひとりの親」と、どう関わって行くか。真剣に考える必要があります。「私が嫌だから」と言う理由で、子どもが重荷を背負っていることから、目を背けることは、育児放棄と変わらないのではないでしょうか。

引き離された親たちの怒りの受け皿

「面会交流について相談したいんですが。依頼者が”面会交流で息子を殺めたい”と言っていて、対応に苦慮しています。そういう場合、貴君はどうしていらっしゃるのでしょうか」って、そんな面会交流、無理して取り次ぐ必要もないと思うけど・・・

ブログやSNSで毒を吐きつつ、すっかり復讐心にまみれてしまって抜け出せない方はたくさんいる。子どもを盗まれて許せない!子どもを虐待している母親を許せない!って、いっぱいいっぱいになっている。たいがい、その後は子どもと会えなくなるケースがとても多い。

実際にその人と会ってみると”実行方法”とやらが非常にあやふやで、時折、怒りに満ちて話がどんどんずれて行く。それでも、まあ、一連の出来事だからと受け止めて、全体の話を俯瞰する。

「そういう気持ちだということをわかってほしい」と着地点が見つかってくる。

ちょっとずつ心を開いてくれて、だんだん分かってくるのは、ああ、この人は、思っているだけでなんもしてこなかった人なんだなぁということ。

「母親が虐待しているとして、それでどうしたんです?」
「いえ、なにも。どこにも相談していません」

「警察には相談に行ったことはあるんですか?」
「行っても無駄だと、ネット上にたくさん記事があって」

「子どもに手紙をかいたことはありますか?」
「書いても無駄だと、○○さんが言ってまして」

おいおい、自分の子供のことでしょ。

常に「誰かさんのせいで何も進まないし、できない」という話しぶり。そのくせ「毎日ひまです。死にたい」。自分でできること、あきらめてるんじゃないか。

あきらめているのは他の誰でもないでしょ。

ネット情報にかぶれて意気消沈する気持ちはワカラナイではないけれど、それを何年も続けていると、できないこと・何もしないことへの免罪符みたいになってしまう。その切替の悪さが事情を複雑にしているのではないかと、自分のことを振り返ってみてもよく分かる。

アレだ、ネットサーフィンはいわばドクターショッピングと同じで、都合の良い情報だけを取捨選択してしまう。んなもん、結局、俺は何の役にも立たなかったように感じる。

それと、気が付かないうちに、相当、奥さんの動向や子供の態度のひとつひとつに依存して、反応してしまうのだ。案外、俺なんかも、妻も子どもも別の人間で、別の考えを持っているということが、なんだか怖かったような気もする。

こっちもそういう考えだったから、奥さんも同じように「子供と同化」しちゃったような気もする。ちょっと乱暴だけど、「子どものことが心配です(信頼していません)」「会わせてください、お願いします(期待してます)」ってのは、ぜんぜん相手に響かないことが多いので、多少”誇張”してでも、

「大変だろうけど、あなたに任せるからね(信頼してますから)」
「こっちは好きなようにやらせていただきますね(期待しないから、こっちにも期待しないでね)」と放ったほうが、不思議と同居親の気持ちは動くようである。

こっちが変われば、あっちも変わる(と自分も相手も信頼する)。

もちろん、すべてそのようなケースではないのだけれど、それぐらい「軽く」伝えないと、ただでさえ「重い同居親」はかなり重たくなってしまうようで、なかなか興味深い。

ちなみに、子どもを連れ去った妻(または夫)を「やっつけてやりたい!」と思っている人々が、合理的にやっつけられる方法をコンプリートできた人はいなかった。だんだん「無駄なことだ」と気がついてくれて、いつの間にか、その話は立ち消えた。そうなるまで、お付き合いする他ない。ただ、いつまでも怒りが収まらない方とは良い関係を結べないので、正直、俺も切りたくなる。

夫婦問題は、どっちも加害者になったり被害者になったり、行ったり来たり。最終的には、そのどっちにもならないよ!という心構えができると良いのだろう。ムズカシイけど。(少なくとも今の法制下ではそれしか無い)

それと、なんとかしてあげたいからと、別居親に感情移入しすぎると、冒頭のような妙な問合せになるんだろう。支援する側も強いメンタル持ってないとね、流される。

例えば、面会交流の場面で、別居親が子どもの前で泣き出してしまったとして、支援する側も一緒に泣いてしまうと、子供の不安は2倍にも3倍にもなってしまう。やはり、面会交流支援は、子どもベースの子ども目線で、私情は大人の対応で控えめにしたほうが良いね。

メディアへの圧力

アエラの記事や現代ビジネスのネット記事がリンク切れになった件。

俺もこの騒動は言論弾圧だと思うし、訴訟をチラつかせて記事を引っ込めさせた(チラつかされて記事を引っ込めた)のは、どうなん?と思うけれども、出版社ではとある”猛烈な抗議”を受けて、その対処に苦慮しているそうなので、ちょっと提言させて頂きたいです。

まずは、親子問題・親権問題・子どもの連れ去り・虚偽DVという難しいテーマを取り上げてくれた出版社と記者に感謝の気持ちを表したいところです。記者は慎重に立場と言葉を選んで記事にし、出版社は幾度も会議を重ねて、この企画に取り組んだはずです。

しかし、出版社に罵詈雑言を浴びせるような抗議電話をしている人がいて、今後このような企画や新たな出版が危ぶまれているのも事実です。

抗議した人は悪気もなく、満面の正義感づらで意気揚々と電話をしたかもしれないけど、それが何になります?

 記事はいったんネットから引っ込められたものの、構成をやり直して再掲されることもありえる話。出版社は今後の企画を続けるかどうかについて検討していた。

そこに”抗議”の電話がしつこく入り「こんなにひどい言葉を浴びせられるのなら、もうこの手の企画はやめましょう」って状況になってんの。それって相手のスラップ訴訟と同じくらいのことやってんのよね。本人は気づかないだろうけど。

1,もう一度読みたい!
2,後編も楽しみ!
3,応援してる!企画を続けて欲しい!
4,自分も似たような経験がある。私のことも取材して!
5,良記事を書いた記者によろしく伝えて!

・・・とかまあ、そのくらいにしておいてはどう?

“猛抗議”がどんな結末を迎えるかというと、記者が個人的に責任を負わされて、出版社が二度とその記者に「書かせなくなる」ことにもなりかねない。ただでさえ複雑な事情を大衆向けに分かりやすく伝える努力をしてくれているのに、それが水の泡になりそう。

「記事が不正に削除されるのはけしからん!」とばかりに「そんな出版社なら買った雑誌を送り返してやる!」と出版社へ八つ当たりしても、そのしわ寄せが記者に跳ね返って行くだけかも知れない・・・ということを想像してみて欲しいんだわ。電話の向こうにも俺たちと同じ人間がいるわけでさ。

ってかよ、もう出版社の中の人はぶっちゃけ「ああ、別居親ってめんどくさいですね!」って思ってんだわ。
自分の気に入らないからって、正義づらして出版社をケチョンケチョンにやっつけたところで、消えた記事が復活すると思うの?

購読者の権利とか、説明責任とか、問い合わせる権利とか、少し休み休み言ったほうが良くない? 相手の気持ちを察せられない正しさだけの単細胞が企画そのものをダメにする破壊力を持ってる。相手は変えられないんだから。雑誌は買うか買わないかだけ。

いい加減、その破壊力に気がついて〜 (´∀`)

アダルトチルドレンと言う言葉の誤用

ええと、いろいろなお話をお聞きするうちに「私はアダルトチルドレンなんでしょうか」とか「友達から、あなたはアダルトチルドレンみたいだね」と言われたというお話に接することがあります。結論から言うと、アダルトチルドレンとは他人からレッテルを貼られるような言葉ではありませんし、医学用語でもありません。

アダルトチルドレンと言う言葉が日本に入ってきたのは、1990年頃からです。アメリカの精神科医が書いた本を日本の精神科医の齋藤学(さいとうさとる)さんが日本語の本に訳して以来、日本国内に広まったようです。その後、やはり精神科医の信田さよ子さんが「アダルトチルドレン完全理解」と言う本を出されています。これらの本を読めばよく分かるのですが、アダルトチルドレンとは、そう「自覚」するかどうかということがポイントで、他人からどうこう言われることではないということです。

 

そして「子どもみたいな大人」という表現も誤用です。これらはメディアの人々が誤解して伝えていることもあるんでしょう。あらためて、アダルトチルドレンとはどういう事かというと・・・

幼少期に親の顔色を見ながら生活し、意に反した生き方を(直接・間接問わず)強いられ、(結果的に)親から受け入れられず、悲しみを抱いたまま手放せない状態が続き、大人になっても、心の奥底で泣き続けているために、大人になってから、生きているのがなんだかつらい! そんな状況を理解するための助けとなる「自覚」です。生きにくい感覚がないのであれば、無理に自覚する必要はないし、「私は違うかな」と思えば、それで良いのだと思います。

人は多かれ少なかれ「親に理解されなかった」という経験があります。その体験が元で人間関係が上手くいかなくなることがあります。例えば、いつも親から怒鳴られて育った人は、社会に出ても「また怒鳴られるのではないか」と恐れて大事なことを言えなかったり、話し合いを避けてしまうことがあります。しかし、幼少期は、話し合いを避けることで自分が傷つかないようにしてきたり、「自分さえ我慢していれば、パパとママはケンカしたりしない」と背負い込むことで、なんとか「生き延びて」来たという言い方もできます。

衝突を避けてきたり、納得行かないことを背負い込んでしまって、そう生きざるを得なかった人のことを「サバイバー」と言います。そうした苦難や困難を、なにか別のことがきっかけで「水に流す」ことができると良いのですが、自分が最初に接した大人である親の言うこと・やることは、ある意味「絶対的」ですから、子どもは親の言うなりに従わざるを得なかったり、そこから逃れようがないという状況で生き続けなければなりませんでしたので、満たされなかった気持ちが心の奥底に深い傷となって残ってしまうことがあります。

社会に出て、親と同じような話し方を聞くだけで、身構えてしまったり、苦しくなってしまったりして、体調不良になることもあります。そのような「身体症状」が出て、「あれ?なんかおかしいな」と気がつくのです。アパートを借りて一人暮らしを始めたのに「あれ?私は自由に生きていない。やりたい!と思ったことでも、何かが邪魔をしている」と感じ始めて、自分自身の心にモヤモヤしたものがあることに気が付きます。

なんとなく自分が変だということに気が付きますが、たいがいの場合、身体症状があっても何らかの病が見つかることはありません。精神科や心療内科に行ってみても、それほど深刻な状況ではないことが分かり、ソーシャルワーカーや心理カウンセラーのところで、「アダルトチルドレンじゃないかしらね」と言われてホッとします。自分は何らかの病気ではなかったという安堵感と、ずっと心の奥底に秘めていたものがあったんだ、という気づきによってホッとするのです。

アダルトチルドレンとは、「大人になっても、心の奥底で泣いている幼いころの私」という感じだと思います。だから、他人は与り知らないことだし、誰かから「あんたはアダルトチルドレンだ!」と言われる筋合いにはないし、「私はアダルトチルドレンです」と表明するものでもないのではないかと思います。それ故に「自覚」があるかどうか、ということがポイントです。

全国各地にアダルトチルドレンが集まる「自助グループ」というものがあります。そこで、心の中に秘めていた自分のことについて、各々体験を語ります。自助グループでは、名前を名乗る必要がなく「アノニマス(無名であること)」が重視されます。いま大人の自分と、さびしい気持ちを味わって心のなかでまだ泣いている子どもの自分。それらを分けるという配慮もあるのでしょう。

だんだんと、その「自覚」が大きくなり、たくさんのことを思い出します。時には、悔しかった子供の頃の自分と一緒になって怒り狂うこともあるでしょう。そうして少しずつ、子どもの頃の自分を慰め、励まし、手を離して行きます。それが自助グループで体験できることのひとつです。それなので、インナーチャイルド(心の中の泣いている子供時代の自分)がいつの間にか成長し、「もう私は成長したよ! 泣いていないよ!」という日が来るかも知れません。その日がいつくるのか、あるいはもう来てしまったのか、自分自身でもはっきりとわからないものです。というわけで、繰り返しになりますが、アダルトチルドレンという言葉は、誰かから定義付け・レッテル貼りされるものではありません。