たまさんは普段から「心配事の9割は実際に起こらない」と信じています。
しかし、毎日多くの人々が、いろいろな不安や心配事に苛まれたままです。9割は起こらない。統計的にそうなっているので、そう信じてくださいな。
それで、今日は「自分は嫌われているのではないか」「自分の容姿が変なのではないか」という不安に着目してみたいと思います。
毎日あり得ないことを“確信”する「妄想性障害」という状態があります。病というよりも、今の社会に煽られる「不安な状態」と言えるのではないでしょうか。なので、一時的な「障害」であって、それは克服して行くことができると、たまさんは考えています。
よく「人は見た目より中身」と言われますが、見た目もそれなりに大切であることは否定できません。ただこれは、身だしなみを普通にしているということで、大概の人は嫌悪感を感じないものです。
問題となってくるのは、「見た目以上の妄想を思い込む」ことと、「自分は最悪な容姿をしている」と思い込む”醜形恐怖”という状態です。まあ、青春時代は誰しも一度くらいは経験があると思います。それは、誰と比べているのでしょうか。何と比べているのでしょうか。
よくありがちなのは、成人前後の女性で、自分の顔のことをひどく気にして精神不安定になるケースです。学校も卒業して、友人もそこそこいる。けれども、顔の美醜に対するこだわりがあり「こんな顔では生きていけない、死にたい」と言って、苦しみのあまり(苦しみから逃れる手段として)リストカットに”挑む”ことがあり、高校生では約10%が、なんらかの自傷行為をしているという統計もあります。
常に鏡を気にしたり、スマホの自撮り画面で顔写真を撮影したり、長時間化粧をしていたりして、勉強や仕事、友人との付き合いにも集中できなくなり、とりわけ男女間の付き合いには無用な軋轢を生じさせてしまうこともあるようです。まあ、そりゃ年頃だから、お友達と比べて悔しく思うこともありますよね。
ところが、そんな方と会って話してみると・・・決して器量がないわけではないし、本人に聞いても、「他人から、かわいいですねと言われたことは何回もある」そうです。それでも本人は「どうしても美容整形をしたい。奇麗になりたい」と望み、時にはお金がないことに絶望して大泣きしてしまうとか。(お金がないことについての嘆きやアピールの場合もあります)
「私、自分のことも、自分の顔も大嫌いです。目もかわいくないし、ずれてるし、鼻もつぶれてるし・・・」
あ、いや、客観的に見ても、そうではないと思いますが・・・。しかし本人としては「この苦しみは、どうせ誰にもわかってもらえない」とやさぐれてしまいます。ここで大事なのは「本人がそう思っている」ということです。
なので、手術も結構なんですが、むしろ本人の気持ちの変革が大切になってきます。
残念なことに、意を決して美容整形術を受けても、またあれこれと気になって、どんどん”過剰”な欲求や要求が増えます。結論からお話すると、この枯渇した状態が、本人を追い詰めていると言えます。
むしろ「美人だなあ」と思う人が、自分の容姿について過剰に心配し、実態とは異なることを”思い込む”という状態ですので、お医者さんにかかったりすると「妄想性障害」と診断されてしまうのですが、これまたクスリで良くなるものでもありませんし、クスリにはまると別の厄介な問題が起きます。
どうしても「醜い」と思い煩ってしまう本人との対話が必要です。難しいのは、「かわいいね!」と言う言葉が、こちらの思いとは違っているので、本人にとって「受け入れがたい言葉」であること。そして、そのつらさが他の身体症状につながり兼ねないということ。お世辞が気持ち悪く感じることと似ているかもしれません。
それが事実だという強く悲しい思い込み、誰も理解してくれないという孤立感、そうした一次感状が怒りとなって、「こんな子に産んだ親が悪いんだ」と悪態をつくこともあります。(怒りや悪態には、必ずと言って良い程、その前段となる出来事があります)
さらに”深刻”になると、「すれ違う人が目を背ける」とか、「振り返った人に笑われた」とか、「自分は人を不快にしているのではないか」という思い込みに進行してしまいます。ただ、これを「妄想」と言う言葉で片付けようとすると、本人にとって回復が困難になります。「妄想ですよ」と言われても受け入れがたい苦痛が根底にあるのです。
中傷されているわけでもないのに「中傷された」と思い込むのは完全に妄想なのですが、本人が「そう思っている」「そういう気分になっている」ことは間違いないようです。中傷される”声”が聞こえるとなると、それは幻聴です。お医者さんにかかると「統合失調症ですね」と言われます。もっとも、それに近い状態ではあると思います。お医者さんが「なんちゃら障害ですね」と言って、さじを投げてしまうのでは、そこに出向いている意味もないような気がします。
しかし、見方を変えてみるとどうでしょうか。それが”過剰な”思い込みであったとしても、”過剰な”向上心と捉え直すこともできます。
「十分、かわいいし綺麗ですよ」という言葉は、本人の気持ちを否定してしまうかも知れません。おそらく、女心の難しいところとは、そういうことなのでしょう。
じゃあ、どうすれば良いのか。
「かわいいです」「きれいです」と言うのは、男性が照れ隠しで言ったりすることもあるので、隠さないで「好きですよ!」と表現すればいいかもしれません。「かわいい」「きれい」は人によって異なる感覚だけれども、「好きですよ」というのは、例え不細工な状態でも、それが好きですよ!ということです。
ちなみに、誤解がないように言っておくと、不細工という言葉は、カタカナ語になって「ブサイク」と、やや威圧的に聞こえますが、「細工をしていない」ということですから、単純に「化粧をしていない」ということです。化粧をしなくても、誰からも嫌われなかった、好意を寄せてもらった、という安心体験が繰り返されることで、”妄想状態”はだいぶ緩和されると思います。
本当に”誹謗中傷”が聞こえるのかどうか。それが”聞こえる”ことによって、誰かをコントロールしようとしていないか。お医者さんに判断できるのは、せいぜいそんなことくらいなのかもしれません。
心配事は9割起きない。
安心できる体験と、成功体験を繰り返して行けば、気持ちの落ち着きをきっと取り戻すことができます。
そして、好意を寄せてくれる人に素直にありがとうと言えたら、とても素敵なことです。その人はきっと、あなたの知らない「良いところ」をたくさん知っている人です。不細工でもいいじゃありませんか。素のあなたが好かれているのです。