”メンヘラ”という言葉

「メンヘラ」とはインターネットから派生した俗語です。ネットスラングというやつで、正式名ではないし、専門性を有する人々は使わない言葉です。昔々2ちゃんねるというネット掲示板に、心の健康に気を配る人たちが集うメンタルヘルスというカテゴリーがあり、略して「メンヘル」、集う人たちが「メンヘルな人=メンヘラー」と呼ばれたのが始まりです。同じ2ちゃんねるから「鬱氏(うつし)=鬱だから死にたい、または鬱傾向の人のこと」という言葉も生まれていました。日本語ならではの言葉遊びのひとつだと思います。

「メンヘラ」という言葉が「差別ではないか」という人も居ます。軽々しく乱用されるので、そのような評価があるのでしょう。しかし実務的には「あの人病んでいるから」「精神病だから」と言うのと、あまり変わらないのではないかとも思いますし、いずれにしてもレッテル貼りに過ぎないよねーと思います。

俺が大事に思うのは、決めつけや思い込みで「メンヘラ」にされているということです。本人も周りの人も。他人から「メンヘラだね」と言われることは気分が良くないものですし被害感もあります。自分のことを「私、メンヘラだからさ」と卑下する使い方にも陥りやすい。その結果、医学的な疾患がない人まで気分が落ち込んでしまったり、加害意識なく人を攻撃する言葉にもなってしまいます。

さりとて鬱な気分は苦しい。つらい、逃げたい、死んでしまいたい、という気持ちを一言で説明したい時、「鬱」という言葉を使うことに大きなリスクも感じます。「鬱」とか「精神分裂」とか、得体の知れない不気味さを伴います。そういう意味では「メンヘラ」という言葉が、モヤモヤした気持ちの総称として”自分に近いかも知れないもの”という役割は果たしているのでしょう。

一方で、なんだか言葉だけが独り歩きしてしまっているようにも感じませんか。メンヘラ状態やその程度も人によって様々で、誰かひとりのケースをみても、それはそれはスペクトラムな状態で、良い時もあれば悪い時もある。それなのに「メンヘラ」と(自分も他人も)思い込んだり決めつけてしまうと、それがその人のキャラやファッションになってしまうこともあり得ます。

「他人に理解されない特別な私」や「可哀想な自分でいることの恍惚感」を味わっているうちに、自傷行為に浸って行くこともままあり。「かっこいい」と思い込んで、「嫌な自分」にいつまでも決別できないこともあります。早めに専門性のある人につながる必要も出てくるかもしれません。しかし、今の医療では薬漬けにされてしまうリスクもあります。

あえてリスクという言葉を使いました。一度、薬を飲み始めると、自分に「合う・合わない」ことも含めて抜け出すことが容易でない場合が少なからず見受けられます。

じゃあ、どうすればいいのか。できたら薬に頼らずに、一人でも良いから継続できる人間関係を保たてたらいいなと思います。もっとも、人間関係がうまくいかないからつらい状況になっていることがほとんどなので「そんなに簡単に行くわけがない」と思うかもしれません。

そして、心がつらくなってしまった背景には、必ずと言ってよいほど家族との軋轢や柵(しがらみ)があります。親に相談したところで上手く行かないのが常です。

家族でも、学校の同級生でも、会社の同僚でも、この人とどうなりたいか、これからどうして行きたいか、何をしてほしいか、何をしてあげられるのか、というギブ・アンド・テイクの棚卸表を作ってみると良いかもしれません。

「メンヘラ」で悩み落ち込んでいる人のバックグラウンドには、親(特に母親)の態度や距離感に違和感を感じながら受け入れ続けて来た歴史が見えることが、よくあります。

お母さんは、今まで私に何をしてくれたんだろう。
お母さんは、その時、私のことをどう思っていたんだろう。
そして、私はどう感じていたんだろう。
私は、こうして欲しかったのに。
それを、言葉で伝えられた? 受け止めてもらえた?

お母さんには、もっと私のことを知ってほしい。
けれど、私のこの部分については放って置いて欲しい。
お母さんには、私を一人の大人として見てほしい。
けれど、母としてのアドバイスは欲しい。
お母さんには、家事は手伝いたい。それ以上のことはできない。

このように、プラスとバット(But=しかし)の両方を自問して行くことで程よく心地よい距離感を「作って行く」ことができるようになるでしょう。曖昧でいいものもありますが、これからどうして行きたいかを考える上で、役に立つと思います。

一人では難しい時、臨床心理士やカウンセラーに手伝いを要請するのも良い方法だと思います。ただ、「精神科医」となると、ちょっと敷居が高く感じて、相談できる時間もあまり長くありません。そんな時は、ケースワーカーさんに相談するというのも手です。

ケースワーカーさんは、ソーシャルワーカーさんとも言って、愁訴する人の話を聞いて、どんな医師に結びつけると良いか、どんな方向性で状況を改善して行くかを一緒に考えてくれる役割を持っています。なので、ケースワーカーさんと話していて、自分の筋道を立てられたという人も少なくありません。

勝手にまとめると、「メンヘラ」という言葉は、あまり言葉狩りしなくても良いんじゃない?と思うことと、でも、それは自分や他人に向けて言う言葉でもないよね、ってこと。自分と他人の境界線は自分で作ってみて、それを相手に伝えても良い。その手伝いをしてもらうのに継続的に関われる人が、ひとり居れば、全く居ないよりも道が開きやすい。

そして、薬は必要ではないこと。これは、断薬の苦しみとともに、多くの人が感じていることでもあります。

もちろん、たまさんが何かをお手伝いできれば幸いです。くるくる表情を変えて行く社会システムに翻弄されつつ、若い皆さんが悩み苦しんでいる責任は、親御さんだけではなく、すべての大人にもあり、俺もその一人だと感じているからです。俺は信頼される大人になりたいと思っています。