アエラの記事や現代ビジネスのネット記事がリンク切れになった件。
俺もこの騒動は言論弾圧だと思うし、訴訟をチラつかせて記事を引っ込めさせた(チラつかされて記事を引っ込めた)のは、どうなん?と思うけれども、出版社ではとある”猛烈な抗議”を受けて、その対処に苦慮しているそうなので、ちょっと提言させて頂きたいです。
まずは、親子問題・親権問題・子どもの連れ去り・虚偽DVという難しいテーマを取り上げてくれた出版社と記者に感謝の気持ちを表したいところです。記者は慎重に立場と言葉を選んで記事にし、出版社は幾度も会議を重ねて、この企画に取り組んだはずです。
しかし、出版社に罵詈雑言を浴びせるような抗議電話をしている人がいて、今後このような企画や新たな出版が危ぶまれているのも事実です。
抗議した人は悪気もなく、満面の正義感づらで意気揚々と電話をしたかもしれないけど、それが何になります?
記事はいったんネットから引っ込められたものの、構成をやり直して再掲されることもありえる話。出版社は今後の企画を続けるかどうかについて検討していた。
そこに”抗議”の電話がしつこく入り「こんなにひどい言葉を浴びせられるのなら、もうこの手の企画はやめましょう」って状況になってんの。それって相手のスラップ訴訟と同じくらいのことやってんのよね。本人は気づかないだろうけど。
1,もう一度読みたい!
2,後編も楽しみ!
3,応援してる!企画を続けて欲しい!
4,自分も似たような経験がある。私のことも取材して!
5,良記事を書いた記者によろしく伝えて!
・・・とかまあ、そのくらいにしておいてはどう?
“猛抗議”がどんな結末を迎えるかというと、記者が個人的に責任を負わされて、出版社が二度とその記者に「書かせなくなる」ことにもなりかねない。ただでさえ複雑な事情を大衆向けに分かりやすく伝える努力をしてくれているのに、それが水の泡になりそう。
「記事が不正に削除されるのはけしからん!」とばかりに「そんな出版社なら買った雑誌を送り返してやる!」と出版社へ八つ当たりしても、そのしわ寄せが記者に跳ね返って行くだけかも知れない・・・ということを想像してみて欲しいんだわ。電話の向こうにも俺たちと同じ人間がいるわけでさ。
ってかよ、もう出版社の中の人はぶっちゃけ「ああ、別居親ってめんどくさいですね!」って思ってんだわ。
自分の気に入らないからって、正義づらして出版社をケチョンケチョンにやっつけたところで、消えた記事が復活すると思うの?
購読者の権利とか、説明責任とか、問い合わせる権利とか、少し休み休み言ったほうが良くない? 相手の気持ちを察せられない正しさだけの単細胞が企画そのものをダメにする破壊力を持ってる。相手は変えられないんだから。雑誌は買うか買わないかだけ。
いい加減、その破壊力に気がついて〜 (´∀`)